(1)ぼくはここにいるのだから。

 ぼくの住むサービスエリアは、海のない町のはずれにあって、家の前には片道二車線の広い街道が通っている。
 ぼくは毎朝、小さな木の椅子を持って〈ひまわり〉と彫刻された看板の隣に座る。東を向けば朝日の昇る方角に空を閉じる程に巨大な山脈があり、山を越えると過去の町に着く。西を向けば落陽の方角に地平線までまっすぐに続く街道が伸び、路の果てには多くの人たちが暮らす未来の町がある。
 その中間に挟まれたサービスエリアの周りは、持ち主のいない枯れた麦畑が広がっており、点在する家の殆どは住民のいない廃屋だ。
 多くの人々は、この何もない町を通過して未来の町に向かう。たまに観光気分で過去を愛でに向かう人々もいるが、それでも人々は概ね未来を目指して街道をゆく。
 この町の人々も、大人になると町を捨てて、未来へ向かう。僕の父さんも母さんもそうだったし、兄さんもそうだった。逢ったこともないおばあちゃんもそうだったらしい。
 家族のなかで残ったのは、ぼくとおじいちゃんのふたりだけだ。

 おじいちゃんは町に訪れる観光客にスポーツドリンクや軽食やガソリンを売ったり、たまに車やバイクのメンテナンスをして暮らしている。ぼくはもう十六歳だけど、そのどれもうまくできなくて、敷地の入口の〈ひまわり〉と彫刻された看板の傍の小さな椅子に座って、街道を走る車やバイクやロードバイクや空を見ている。
 サービスエリアの敷地は広く、殆どが乾いた砂地だ。風の強い日は、砂埃で視界が巻き上がって視界が塞がれるほどだが、概ねの日々、空と地平線はのどかだ。敷地の中には、お客さんのためのカフェテリアがあり、そこからは、おじいちゃんが植えた小さなひまわり畑とハーブ園が見える。敷地の中には二つの建物があり、ひとつはぼくらが〈小屋〉と呼んでいる調理場兼、ぼくの部屋。ぼくらはここで料理して、お客さんに提供する。もう一つはぼくらが〈納屋〉と呼んでいる、物置兼おじいちゃんの部屋。両方とも古い木造だけど丈夫な作りで、それぞれ四人家族とペットの子犬がお互いにぶつからないで暮らせるほどに広い。何もないサービスエリアだけど、広さだけはあるというわけだ。
「おい、ひまわり。朝めしにしよう」とおじいちゃんが言う。ぼくの名前はひまわりじゃないけど、その辺はもうどうだっていい。父さんと母さんがぼくに付けてくれた名前を、おじいちゃんは好まなかったようで、ふたりがいなくなってしまってからほどなくして、ぼくを「ひまわり」と呼ぶようになった。ぼくはひまわりって名前じゃないよ。と、何度か説明したけど、おじいちゃんは聞かなかった。おまえはいつも何故か太陽の方を向いているから、ひまわりでいいんだ。それから、馴染みのお客さんたちも、だんだんとぼくをひまわりと呼ぶようになって、ぼくもそれでいいやと思うようになってしまった。
 金色の朝日が、山の彼方から降ってくる。あれが毎朝降ってくる理由が、ぼくにはわからない。
 朝の光のなかで、ぼくとおじいちゃんは朝食を食べる。パンとハム。チーズ。レタス。サンドイッチ。おじいちゃんの作る朝食はいつもサンドイッチだ。
「挟むだけっていうとこがいい。はじめてサンドイッチを作った奴は、そうとうの面倒くさがり屋だったんだろうな」とおじいちゃんは言った。
ぼくは水を。おじいちゃんはアイスコーヒーを飲む。
 街道の向こう、小麦色に枯れた畑の上空を、渡り鳥たちが飛んでいく。
「鳥だ」とぼくは言う。おじいちゃんはもぐもぐと口を動かしながら「鳥だな」と言う。
「何処へ行くのかな」とぼくは言う。
「ここではないところだろうな」とおじいちゃんは言う。ぼくは考える。ここではないところが、ぼくにはわからない。
 産まれてからずっと、ぼくはここにいるのだから。ぼくのなかに。