(4)おじいちゃんはクレーマーと争わない。
午前中は、ゆっくりと涼しい風が吹いていて、ぼくは看板の前に坐り、ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズを空に映写して眺める。時折、街道をゆくドライバーやライダーがガソリンやドリンクを買いに来るのを案内する。
昼食は、ぼくがペンネ・アラビアータを作った。おじいちゃんとふたりで、オープンカフェのテーブルに着いて、辛いペンネを食べる。
「食べ終わったら、食器を洗ってから、野菜を炒めるよ」とぼくは言う。
「ああ、たすかるよ。ひまわり。あの暴れ馬みたいなバイクに乗った女はなんだ」
「アカシアっていうお姉さん。過去の町へ行って、自分を殺したいんだって言ってた。すごい憎しみが深い人だったけど、いっしょに口笛を吹いてくれたよ。でも、ジンジャーエールの代金をもらうのを忘れた」
「そうか。次来ることがあったら、貰うんだな。あと洗車と、靴洗浄をすすめてみろ。気分がよくなって、気が変わるかもしれないぞ」
敷地に入ってきたトラックがクラクションが鳴らす。おじいちゃんは口についたトマトソースを腕で拭いながら立ち上がり、トラックに近づき、窓越しに運転手と何か会話する。
トラックの運転手は煙草を持った手を窓からだらりとぶら下げ、親指で運転席の扉を忙しなく叩いている。おじいちゃんと運転手が、窓越しに何か会話している。エンジン音と停車時のビープ音が大きすぎて、運転手はおじいちゃんに向かって大声で叫ばなくてはならない。おじいちゃんは横隔膜の動きを吝嗇して、大声で返さない。終始全く表情を崩さず、普通の声と身振り手振りでなにかを伝え続ける。遠いのでぼくの座るテーブルからは、ふたりが何を話しているのかは聞き取れない。運転手は大声で叫ぶ度に自分の煙草の煙でむせる。やがて疎通が図れたのか、おじいちゃんは小屋に入って、パンにアラビアータのソースを挟んだサンドイッチを作り、冷蔵庫から緑色の小瓶を取り出すと戻ってくる。キッチンペーパーに包んだサンドイッチとノンアルコールのビールを運転手に渡す。運転手がまた叫ぶ。
「ふざけんな。おれが頼んだのはノンアルじゃねえ。ちゃんとしたビールだよ」
しばらくの間、また二人は話す。わかったよ!なんだちくしょう!と吐き捨て、運転手は代金を支払う。トラックは街道へ去ってゆく。去り際に運転手は、看板の傍の、氷水とドリンクの入った発泡スチロールに向かって、吸っていた煙草をぷっと吐き捨てる。煙草の火が着水すると同時に音をたてて消え、茶色い葉とニコチンが水の中に広がる。おじいちゃんはドリンクを発泡スチロールから引き上げると、汚れた水をすべて地面に捨てる。テーブルに戻って来て、アラビアータの続きを食べる。
「けんかしたの?」とぼくは訊く。
「けんかはしてないよ、ひまわり。ぼけなすが、昼飯にビールを付けて持ってこいと言いやがってな。断っただけだ。運転手に酒は出さない」
ぼくとおじいちゃんしか知らないことだけれど、納屋の中にはたくさんの武器がある。猟銃、拳銃、鎖鎌、ヌンチャク、ダガーナイフ、催涙スプレー、ただ殴るだけを目的におじいちゃんが鋳造した棘の付いた鉄の棒。その他いろいろ。でも、おじいちゃんは人に対して殆ど武器を使わない。
「おれも昔は怒りっぽかった。何に対しても怒ってた。怒りが本体で、おれはそのアクセサリーって感じだったよ。多分、今のも昔だったら怒っていただろうな」とおじいちゃんは言う。
「今は?」とぼくは訊く。
「怒らないわけじゃない。それは多分無理だろう。だが、怒らないように努めるようにはなった。家族が、おれたちだけを残して戻らなくなってしまった頃からだ。それに、ひまわり、おまえを見ているうちに学んだこともある」
「何を?」とぼくは訊く。
「あえて必要以上にものごとを変えようとしないという態度だ。そういう種類の強さもある」
大体同時に食べ終わって、ぼくとおじいちゃんはお互いに挨拶をする。
「ごちそうさまでした」とぼくらは言う。
食後に、ぼくはレモン水を。おじいちゃんは瓶ビールを飲む。