(6)ぼくとおじいちゃんの話

 おじいちゃんは昔、政治家だったそうだ。未来の町の議会で、どんな主張をしていたのかは知らない。おじいちゃんは、その頃のことを、あまり進んで話そうとしない。何か事件があって失職し、ひとりでこのサービスエリアに隠遁していた。
「運がいいことに、何もかも失って空っぽになったから、何もない空っぽの場所で暮らすことにしたんだ」とおじいちゃんは後になってぼくにそう言った。やがて、おじいちゃんの奥さん(ぼくのおばあちゃん)は何もない場所での暮らしに嫌気がさし、離婚して未来の町へ戻っていった。入れ替わりで、おじいちゃんを心配した両親が、当時6歳の兄さんと産まれたばかりのぼくを連れてやって来て、このサービスエリアで暮らし始めた。
 ある日、おじいちゃんとふたりでテレビの刑事ドラマを見ていると、腹の出っ張った人相の悪い政治家が、汚職だとか贈賄だとかで逮捕されていた。
「おじいちゃんも、こんなふうだったの?手錠されたことある?」とぼくは訊いた。
「手錠はされたことあるが、こんなふうではなかった。おれに手錠をかけたことがあるのは、おまえのばあさんだけだ。愛想尽かして出て行ってしまったけどな」とおじいちゃんは言った。
「政治家は悪い人なの?この間も、テレビで逮捕された政治家、見たよ。おじいちゃんはどうだったの。汚職とか、賄賂とか」
「悪い人だったよ。汚職も収賄もやった。だが、良いこともした。みんなのために働いているつもりだったし、実際にみんなが喜ぶこともした。公共事業とか、新しい法案を提案してみたりとかな。良い悪い、どっちかとは一概には言えない。ただ、全体としてろくでもなかったのは事実だ。それより最悪だったのは狡かったことだ。今思うと、あれはうんざりするな」
「狡いって?」
「いろんな狡さがあったよ。おれも狡かったし、みんなも狡かった。今になってそれに気づく。良いも悪いもない、みんな狡かったのさ」とおじいちゃんは言った。

 昔は怒りっぽかった。とおじいちゃんは言うが、それは本当だと思う。
 ぼくがものごころついた時には、おじいちゃんは怒ることを大分やめていた(と本人が言っていた)けれど、それでも、お父さんやお母さんの態度を見ていればわかった。ぼくの両親は明らかに、おじいちゃんに怯え、遠慮していた。家の中はぎくしゃくしていて、一人一人が相手の顔色を伺っている、陰湿なサバイバルゲームみたいな雰囲気があった。たまに言い合いになると、必ずおじいちゃんが勝ち、その意向が通った。権力の維持のためは、定期的に相手の言い分を退けなければならないと思い込んでいたんだ。とおじいちゃんは言う。両親はおじいちゃんのいないところで、悪口を言いあい、兄さんがそれに参加した。    
 ぼくとおじいちゃんを除く、家族での一番強い絆は、おじいちゃんへの不満と悪口だったと言っていい。
「おまえの父親に対しては、悪いことをしたという気持ちがある」とおじいちゃんは言った。「躾のために殴ったし、悪いことしたら一方的に責めたよ。口答えしようものなら、理屈で打ち負かした。よかれと思ってやったことだ。喧嘩もしたが、あいつは弱かった。喧嘩に勝つのは力でも正義でもない。冷酷でしつこくて、狡い方が勝つ。これが原則で、おれは強かった。おまえの父親はかわいそうに、弱かった。優しい奴だったんだろうな」とおじいちゃんは言った。
「そう、優しい奴だった。そして弱い奴だった。おれは息子に、強くなって欲しかったんだと思う。それだけじゃない。正しく、豊かな人間になって欲しかった。だが同時に、いつまでも弱いままの息子でいてほしいというエゴもあったんだろう。今ならわかるが、矛盾している。結果的にはあいつを追い詰めてしまった。母親が、おまえのおばあちゃんがいれば、また違ったかもしれないが。まあ、とにかく悪かったと思ってる」
 これは不思議なのだけど、おじいちゃんが謝意を示す父さんと、自分の知っている父さんを、ぼくは同じ人物に思えない。と言うのも、上手く言うことを聞けないと殴ったり、理屈で責め立てたり、逃げ場のない行き止まりまで追い詰めてくるのは、ぼくにとっては、おじいちゃんではなく、他でもない父さんだったからだ。
 簡単に言えば、ぼくは家族の落ちこぼれだった。何もかもが低かった。体力が低く、知力が低く、想像力が低く、何よりコミュニケーション能力が低かった。他にもぼくの何が低いのか、兄さんが一つ一つ直接教えてくれた。概ねすべて兄さんの言う通りだったが、生きる気持ちが低い、と言われた時は反論した。大きなお世話だ。それがわかるのはぼくだけだ。とぼくは言った。兄さんは、まぬけが何か言ってるぞみたいな意味合いのため息をついて、ぷいとどこかに行ってしまった。実際のところ、兄さんがぼくをまぬけな家族の落ちこぼれとして扱うのは、父さんと母さんとおじいちゃんの真似だったと思う。兄さんはぼくと違って、大人の真似を上手にこなすことができた。
 父さんは、自分がおじいちゃんに受けた仕打ちをぼくにした。ぼくの意欲の低さが特に気に入らなかったようだが、それだけではないだろう。「立派な人間になんてならないくていい。おれはそうなれと言われて苦しかった。だが、そんな自分を恥じるな」と父さんは言ったが、やっていることはおじいちゃんの話といっしょだった。上手くできないことを指摘して、叱責し、口答えすると殴る。「父さんがせっかく好きに生きていいと言っているのに、おまえはぼけーっとして、何かをしようっていう意欲はないのか」と父さんは怒鳴った。しかたなく、ぼくは父さんの薦めるフリースクールに通いだしたが、すぐに行かなくなってしまった。何故行かないのか説明を求められたが、説明能力が低くて上手くできなかった。「自分から約束したことを破るのか、このくずめ」と言って、父さんはぼくの服と靴と教科書を全て窓から放り投げて捨てた。
 母さんは特に、ぼくの表現力の低さが気に入らなかったようだ。幼いころは、鼻血が出る程殴られたぼくを抱きしめて「ごめんね。母さんだけは味方だからね」と訴えていたが、ぼくが泣きもせず笑いもせずにいると、怒りだした。これが一番きつかった。
「何か言いなさいよ。あんたのせいで叱られたりもするし、時間もとられるっていうのに、味方でいてあげるって抱きしめてる私に、あんた何か言うことあるんじゃないの?なんのために黙ってこんな何もない場所まで引っ越したと思ってんの?全部あんたらのためじゃない」
 何を言ったらいいのかわからなかったし、なんのために家族がこの町に引っ越してきたのかも、ぼくにはわからなかった。ぼくが表情を変えずに黙っているのが気に入らなかったらしく、母さんはぼくを突き飛ばして、これもまた、ぷいといなくなってしまった。だいぶ後になって「正直言うと、おまえの両親はおれに金を借りるために来たんだ」とおじいちゃんはぼくに教えてくれた。「でも、思ったより財産は残っていなかったんだ。それで不機嫌になったのかもな」
 おじいちゃんの前では、殴られたり罵られたりすることは、あまりなかった。前にも言ったが、両親がおじいちゃんに対して遠慮していたからだ。それで、ぼくはなんとなくおじいちゃんの傍にばかりいるようになった。とはいえ、その頃はおじいちゃんも、ぼくを出来の悪い小型のロボットくらいにしか思っていなかった。庭の隅に置いてある錆びたドラム缶が一つ増えているくらいにしか、ぼくを気にしていなかっただろう。
 けれども、ぼくにとっては、おじいちゃんが唯一の安全地帯だった。おじいちゃんは、ぼくと違って何もしない、ということが出来ない。車を洗ったり、畑に水をやったり、筋トレをしたり、映画を観たり、パターゴルフをしたり、実に様々なことをしていた。いつもたった独りで。
 今にして思えば、おじいちゃんは強さによって孤立し、ぼくは弱さによって孤立していた。そして孤立からくる沈黙が、家族にずいぶん負荷を与えていたらしい。おじいちゃんの知らないところで、家族は引っ越しの計画を立てていた。

 五年前。ぼくが十一歳だった春のことだ。
 その頃、おじいちゃんには内緒の家族会議が頻繁に開かれていた。議題は、おじいちゃん以外の家族でこの土地を出て行く。という決定事項の詳細についてだった。この土地を出ることに関しては、父さんと、母さんと、兄さんによって既に議決されていた。ぼくは投票権は持たされず、もっと言えば会議に参加してすらいなかった。なんとなく、話し合っていることは聞こえるのだけれど、遠い世界の話のように思った。
 父さんが働きに出ている未来の町。そこに、おじいちゃんを除く家族全員で移住する、という予定調和に数日が費やされ、予め決まっている決議が改めて採択された。

 ある朝、食事が終わると、父さんが決議の内容をおじいちゃんに伝えた。
「もう、色んなことに口出しされるのはうんざりだし、自分の人生は自分で決めたい。父さんの圧力にびくびくして生きるのは、もう嫌だ。二度と父さんには会いたくない。父さんが孤立することが心配だったから家族でこの何もない土地に引っ越してきたが、俺にも、息子たちにも未来がある。これから家族で未来の町へ向かい、二度と帰らない」と父さんは言った。
 おじいちゃんは父さんの言葉を、頭のなかで何度もよく噛んでから、わかった。好きにしろ。とだけ言った。気持ちの上では、怒りや哀しさや戸惑いが渦巻いていたはずだが、それらがすべて混ざってしまうと、声色は諦めの一色になっていた。
 おじいちゃんは、いつかこんな日がくると思っていた。という表情をしていた。その日、別れを告げられてからではなく、それよりもずっと前からだ。いつか確実に来るだろうを待ちながら過ごす日々の横顔は哀しい。それが現実になってしまうと、おじいちゃんの横顔からが哀しみが消え、見ようによっては、寧ろほっとしているようにも見えた。
 すでに荷物の積んであるトラックに、父さんが乗り、母さんが乗り、兄さんが乗った。最後に乗るはずだったのは、ぼくだった。けれど、ぼくは乗らなかった。
「行かない」とぼくは言った。おじいちゃんを含めた家族全員が驚いた。ぼくが喋ったこと。しかも「行かない」という意思を示したことに対して驚いたのだ。その頃のぼくは、挨拶を除けば一年に十三回くらいしか喋らないこどもになっていた。諍いや暴力のはじまりには常に言葉があると考えたぼくは、自分の体の一部に空洞を作って、だいたいの言葉はそこに放り込んでいた。
 その場で、説得がはじまった。引っ越しはもう決めてしまったことだとか。両親なしでここに残ってどうするつもりだとか。離ればなれになってしまっておまえは平気なのか。とか、いろんな方向から説得が行われたが、ぼくは拒否した。努めて頑迷に、でも静かに首を振った。家族会議の裏で、ぼくも独りで会議をしており、ぼくはぼくの議決をしたのだ。
「じゃあ、おまえは、おじいちゃんとここに残るんだな。おれや母さんや、兄さんには二度と会えないぞ。それで平気なんだな。ほんとうに後悔しないんだな。あとで考え直しても遅いぞ。よく考えて返事をするんだ」最終確認だと断った上で、父さんは言った。説得の口調は半分以上、脅迫のニュアンスを含んでいた。
「ぼくは、おじいちゃんと、ここに残る」とぼくは答えた。今まで空洞に放り込んだすべての言葉を圧縮して、そう回答した。
 今度は父さんが「勝手にしろ」と言った。
 トラックは、ぼくとおじいちゃんを残して出発し、ほんとうに二度と戻ってこなかった。

 去ってしまってから、両親は数回、おじいちゃんとぼくに電話をかけてきた。
「あの時は言いすぎた」と父さんは言った。「でも、おまえもよくなかったと思う。急にあんな意思表示されるのは、こっちとしてもどうしていいかわからないし、もっと普段から思ってることを言ってくれれば。母さんは泣いてるよ。おまえ、何も思わないのか。でも、おまえがどうしても、おじいちゃんと暮らしたいならそれでいいよ。それがおまえのためならな。ただ、定期的に連絡はくれよ」
「あなたがそんなふうになってしまったのは、きっとわたしが悪かったのね。ごめんね」と母さんは謝った。「でも、あなたはまだ恵まれてる。ちょっと変わってるけど、障害とかがあるわけじゃないし、お父さんもおじいちゃんもいるし。あなたのこと、わかってあげられなくて悪かった。なんとか、他の子と同じように普通に育ててあげたかった。わたしはあなたを愛していたのよ。上手にできなかったかもしれないけど、これはほんとうなの」
 受話器から聴こえる両親の話の半分以上は、ぼくには理解しがたかったが、結論から言うと、ぼくたちは別々に暮らすことになった。彼らの言い分の正当性を全面的に認めることを条件として。
「父さん。わかったよ。定期的に連絡をする。母さん。わかってる。愛してくれてありがとう。母さんは何も悪くないよ」とぼくは言った。幾分、これは偽証を含んでいる。
 おじいちゃんが両親と何を話したのかはわからない。「ああ」だとか「知らん」だとか、数回短い言葉で応答した後「好きにしろ」と言って電話を切った。
 しばらくして、家族の引っ越し先の住所から葉書が届いた。ぼくはそれを小屋のどこかにしまい、数年たってどこにしまったのか忘れた。
 最初の一年は二カ月に一度電話がかかってきたが、ぼくとおじいちゃんは着信番号の表示を見て、受話器を取ることをしなかった。一年を過ぎると、家族からの連絡は途絶えた。未来で何かあったのかもしれないが、詳しくはわからない。

 そのようにして、改めてぼくとおじいちゃんは、沈鬱なサービスエリアで暮らしはじめた。
 ぼくたちが、まともに会話するようになるまでに、およそ三カ月の時間がかかった。おじいちゃんは息子ら家族に見捨てられた老人だったし、ぼくは(ぼくの認識としては)家族を見捨てた息子だった。
 おじいちゃんは、ぼくのために食事を用意してくれたし、同じテーブルについて食事をとったけど、それまでと同じように会話らしい会話はなかった。家族の中でも、最も喋らない二人が取り残されたのだから。ぼくたちは黙ったまま食事をした。
 おじいちゃんとの暮らしの中で、ぼくが最初に覚えたのは食器を洗う事だった。他にも色々と覚えたが、まずはそれだった。おじいちゃんは食事を作る。ぼくは食器を洗う。ふたりとも、声は発さなかったけれど、これもまあ一種の会話だ。

 一週間に一度、野球好きの配達員がやって来て、物資を運んだあと、ぼくをキャッチボールに誘った。「人生は、野球があれば最高だ」が口癖のベイブというあだ名の配達員は、殆ど力ずくで、ぼくにグローブを嵌め、次々とボールを放ってきた。後になって聞いたところによると、おじいちゃんに頼まれたそうだ。無口な孫とキャッチボールをしてやってくれ。ついでに、あいつが何を考えてるのか出来るだけ聞き出してくれ。とおじいちゃんは小額の謝礼金を渡して頼んだ。ベイブは金を受け取り、最初こそ依頼を果たそうとしたが、五球くらい投げたところで興味を失って、その後ぼくらはただ純粋にキャッチボールをした。
「素直な球筋で、覚えがいいですよ。ただ、体幹が弱い。コントロール重視でいくにせよ、球速を上げるにせよ、まずは体幹です」とベイブはおじいちゃんに報告した。

 一日の時間の殆どを、ぼくはサービスエリアの入り口に座り、街道の向こうの枯れた麦畑を眺めて過ごした。それまで、ぼくのことを、庭の隅に置いてある錆びたドラム缶程度にしか思っていなかったおじいちゃんだけど、ふたり暮らしがはじまってから、ちょっと変わった喋るドラム缶くらいに認識を改めたのだと思う。振り向くとたまに目が合うようになり、その度におじいちゃんは、しまった、という顔をして目を逸らした。
 たまにおじいちゃんの仕事を手伝うようになった。庭に水を撒いたり、洗い物をしたり、お客さんを案内したりする。なんとなく、おじいちゃんが毎日していることを真似したに過ぎないけど。おじいちゃんは、戸惑いながら、ぼくにありがとう、と言った。

 家族が出て行って三カ月と少しが経ったある日の昼。ぼくらはサービスエリアのテラスで、おじいちゃんの作ったツナサンドを食べていた。今でこそ、ぼくとおじいちゃんは言葉少なとはいえ、必要なことや、ふと思いついたことくらいは話す。けれど、あの頃のぼくたちは、お互いが何者なのか全然わからずにおり、警戒と緊張のために思っていることはおろか、必要なことすら話さなかった。その日までは。
 その日、ツナサンドを食べていたぼくらのテーブルに、突然、空から槍のように一匹の鳥が降下してきた。鳥は空を伐る剃刀のように鋭く飛び、テーブルの上のサンドイッチを嘴でかっさらった。おじいちゃんが驚いて低い悲鳴を上げ、食器やグラスが派手な音を立てて地面に落ちた。ぼくは人の手の届かない場所に舞い降りてサンドイッチを啄む鳥を目で追った後、再びおじいちゃんを見た。
おじいちゃんは椅子から立ち上がり、両手を広げて威嚇するコアリクイみたいな姿勢のまま静止して、口をあんぐりと開けてぼくを見ていた。ぼくたちの視線が合った。それで恥ずかしくなったおじいちゃんは、とうとう笑った。笑い声はだんだん大きくなり、おじいちゃんは腹を抱え、眼には涙を滲ませた。ある種の笑いと言うものは伝染するもので、ぼくも腹を抱えて笑ってしまった。腹の底から湧き上がってきたぼくらの笑い声は、いつまでも止まらなかった。
 あの時、ぼくらは長いこと笑い転げていたが、ほんとうは叫んでいたのだと思う。家族に取り残されたことや、嫌われていたこと。家族についていかなかったことや、何故ついていかなかったか。この老人はいったい何者で、この孫はどのくらい変わり者なのか。そんな二人がどうやってやっていけばいいのか。すべてを笑い声にして、ぼくたちはとりあえず叫んでいた。
 ひとしきり笑ってしまうと、おじいちゃんは息を切らしながら涙を拭き、椅子に坐りなおして、ふーっと息を吐くと、ぼくの目を見て言った。
「おまえ、なんで残ったんだ」
 ぼくはおじいちゃんの顔を見ながら、じっと考えた。おじいちゃんは眼を逸らし、残ったサンドイッチをむしゃむしゃと食べはじめた。
「おじいちゃんとぼくは、一緒だからだ」とぼくは言った。幼かった当時はそう言うのが精一杯だったけど、今ならもっと別の説明をするだろう。父さんと母さんと兄さんの絆は、おじいちゃんへの敵意で形成されていた。ぼくはありもしない敵意を抱けなくて、家族の仲間に入れなかった。何故かというと、ぼくはおじいちゃんのことを嫌いではなかったからだ。だからと言って好きでもなかったのだけれど、誰かに言われて誰かを嫌うなんて、ごめんだ。おじいちゃんは嫌われ者で、ぼくは余り者だった。孤立という意味において親近感というやつを感じていたのは間違いない。ぼくはもうこれ以上、誰の悪口も聴きたくなかった。おじいちゃんがどんなひとなのかは、よく知らないけど、隠れて悪口を言ってるところは見たことがない。それどころか、その横顔と後ろ姿は自分に似ていると思った。ぼくは自分の横顔も後ろ姿も見たことはないけれど、おじいちゃんを見ていると何故かそう思った。だから、いっしょにいるならおじいちゃんだと思った。それにぼくは、ここではない何処かに、未来に急いで行きたいとは思わない。今ならそういう説明をするだろうけど、当時は上手く言えず「おじいちゃんとぼくは、一緒だからだ」とだけ言った。あの時、おじいちゃんがぼくの言葉を聞いて何を思ったのかはわからない。
 おじいちゃんはサンドイッチを持ったまま、眼をぱっかりと見開いて、ぼくの顔を見つめていた。そして口の中のサンドイッチと一緒に、ぼくの言った言葉の意味を、もぐもぐと噛んだ。視線がぼくの脳天の少し上の虚空を見つめた。しばらくして手に持ったサンドイッチを皿に置き、再びぼくの目を見つめると、おじいちゃんは言った。
「おれと、暮らすか」
ぼくは頷いた。
 おじいちゃんが、ぼくをひまわりと呼ぶようになったのは、それからすぐのことだ。そして、ぼくらは、このサービスエリアの看板を新調し〈ひまわり〉と彫刻をした。