都市部の外れにある、その広い敷地はかつて保育園だったそうだ。経営不振と人材不足によって閉鎖した保育園の建物と敷地を双子が買い取り、改装して福祉事業の事務所にしている。敷地の入口の看板には「貝がら双子サービス」と書かれている。
姉が貝掛あさか。妹が貝掛いるま。二人は一卵性の双子だ。しかも六月六日生の双子座。えみりよりもちょうど十歳年上で、あさかが訪問介護事業を。いるまが家事代行事業を管理して経営している。えみりは、その両方に非常勤として所属し、平日の午後に働いている。
「おはようございます」と、事務所の扉を開けて、えみりは挨拶をする。事務机の二つの椅子がくるりと回り、同じ顔をした双子がえみりの方を向く。
「えみりちゃん。おはよう。元気?」と、あさかが言う。
「クッキー食べる?」と、いるまが言う。
いただきます。と言って、えみりは差し出されたクッキーを摘まむ。
「ねえねえ。えみりちゃん。どっちが、あさかでしょうか?」と、いるまが言う。
「どっちが、いるまでしょうか?」と、あさかが言う。
「元気です。あさかさん。クッキー美味しいですね。いるまさん」と、えみりは答え、名前と一緒に二人の肩をぽんと叩く。あたりー、と言って双子が拍手する。周囲の同僚からも感嘆の声が上がる。親切な同僚が、えみりに紅茶を淹れてくれる。
「絶対に間違わないのよね」と、あさかが言う。
「えみりちゃんだけよね」と、いるまが言う。
自分たちですら、時々間違えるのに。と、双子は言う。
午後の仕事開始まで三十分ほどの時間があり、えみりは同僚の女性の世間話を聴きながらクッキーを齧り、紅茶を飲んだ。
昨夜、晩御飯にスパイスからカレーを作ったのだと同僚が話し、転じて究極のカレーとはどんなカレーであるか。という考察に話は向かい、えみりたちが議論していると、双子を含め、その場にいた全員が一人、また一人と話に参加しだして、各々の意見とレシピを主張した挙句、謎が謎を呼んでついに答えは見つからなかった。
どの正解も定かではない世界の中で、どれかひとつを選んだ結果に生きている。と、えみりは思う。
どれかひとつ。我が人生。
一年前。仕事を辞めて東京から越してきたばかりの時期。時折母親の様子を見に生家を訪れる時以外、えみりは軽自動車を乗り回し、ただ見慣れない地方都市を彷徨っていた。何も考えたくない時期だったし、実際に何も考えていなかったのだと思う。行動は目的を知らず、思考は言葉に固まらず、生活は意思を持たなかった。
荒涼とした地方の景色は、えみりの心を静かに慰めた。滅びた文明の跡を吹き抜ける風のように、町から町へ、彼女は車を走らせた。
真夜中、ノートに何かを書くことで、かろうじて自分の意識と触れ合うことができたが、それ以外の時間を、えみりは専ら目的のない緩やかな移動に費やした。
『鳥は飛ぶことによって。魚は泳ぐことによって。自らが淀むことを防いでいる。』
えみりは、その頃のノートにそう書いている。
『淀みが、私に流れよと言う』とも。
双子と出会ったのは、そんな時期だ。
ただぼんやりと法定速度を守る一種の自動運転システムと化していたえみりの意識が「貝がら双子サービス」と書かれた看板の傍を通過した一瞬はっと醒めたのは、そこがいったい何のサービスを提供するのだろう、という疑問が彼女の無意識を横切ったからだ。何故、貝がらとサービスの間に双子が挟まれているのだろう。貝がらと双子とサービスはどのように関係しているのだろう。疑問に誘われるように、軽自動車は次の交差点で左折した。左回りに大きく迂回した後、車は「貝がら双子サービス」のある広い道に戻り、その路肩に停まった。えみりは車から降りると、看板の傍の掲示板に貼られた求人票を読んだ。
〈清掃員・ヘルパー募集!〉と、求人票には書いてあった。〈家事代行業、訪問介護のスタッフを募集中。無資格の方、歓迎。資格支援制度あり。交通費支給。〉
もともとは保育園だった事務所から、あさかが出てきて、えみりに会釈した。次に、いるまが出てきて、えみりに会釈した。なるほど、双子だ。と、えみりは思った。同じ顔をしている。双子は、えみりの傍に早足で歩いてきて、明るい声で挨拶をした。
「こんにちは」とあさかが言った。
「ご興味がおありで?」といるまが言った。
えみりはやや口ごもってから、頷いた。
「面接します?」と、いるまが言った。
「面接しません?」と、あさかが言った。
「面接します」と、えみりは答えた。
「貝掛あさかです」と、あさかは言った。
「貝掛いるまです」と、いるまは言った。
「双子です」と、二人は同時に言った。まだ保育園の痕跡をところどころに残す事務所で、面接は行われた。明るい壁紙には、セロテープを剥がした時についたであろう傷と、画鋲で開けた穴の跡があちこちに見られた。かつてはそこには、子供たちの写真が貼られていたのだろう。
「出水えみりです。お紅茶いただきます」と、えみりはお辞儀をして、二人がてきぱきと淹れてくれた温かい紅茶を一口飲んだ。ティーパックで淹れたセイロンティーの底に、ひとさじ分の苺ジャムが沈んでいた。
「うちの求人票が気になりました?」と、あさかは言った。
「どのへんが気になりました?」と、いるまは言った。
「ええと。どんなサービス内容なんだろうって思って。ごめんなさい、求人票というよりも『貝がら双子サービス』という会社名の方が気になってしまったんです」と、えみりは正直に言った。
そうよねえ。と双子は頷いた。
「ちょっとノリで決めすぎてしまったのよ」と、あさかが言った。
「もう少し、事業内容を察しやすい名前がよかったんだろうね」と、いるまが言った。反省の言葉とは裏腹に、終わったことは仕方ないという語調だった。
「わたしたちの仕事は、今のところ、家事代行と訪問介護です。でも、将来的にやってみたいことは他にもたくさんあるの。だから敢えて、具体的なサービス内容を看板に含めず見切り発車してしまったの。この敷地を買い取ったのが先月。営業を開始したのが今月」と、いるまが言った。
「わたしたちの名字が貝掛なんだけど、貝がらの方が語呂がいいんじゃない?って話になって。双子は見ての通り。そしてサービスを提供する。そのサービスっていうのは、そうだな、色々なものを綺麗にしたり、片付けたりするサービスかな。出水さんは、そういうの好き?つまり、物事を片付けること」と、あさかが言った。
えみりは少し考えてから答えた。
「好きかどうかは考えたことはありませんが、散らかっていたら片付けたいと思います。なんであれ」
「そうかあ」と、あさかは言った。
「そうよねえ」と、いるまは言った。
面接の中で、えみりは少しの身の上話をした。高校を卒業すると同時に故郷を出て、東京の広告会社で八年ほど働いていたが、いくつかの事情が重なって退職し、近くの町に引っ越してきた。今は無職で、失業保険を受け取りながら、なんとなく日々を過ごしている。日中は専ら、目的のない移動と、傷んだ住居のリフォームに費やしている。
「見知らぬ土地での、目的のないドライブ。威力偵察の一種みたいね」と、いるまが言った。
「リフォームって。どういうことするの?」と、あさかが言った。
「威力偵察。うまいこと仰いますね。まさに、その通りだと思います。今のところ、敵戦力不明。リフォームは普通ですよ。壁を塗ったり、傷を埋めたり、水道管の錆びを取ったり。まあ、ゆっくりと」
双子は、なるほどなるほどといった具合に何度も頷いた。そして、お互いの顔を見てもう一度頷き、よかったらうちで働いてみないか。と、えみりを誘った。
「見切り発車の割に仕事の依頼は少なくないし、やるべきことは無尽蔵にあるの」と、あさかは言った。
「高齢化社会だし、世の中どこもかしこも散らかってるのよ」と、いるまは言った。えみりは額に親指を当てて、少しの間考えた。
「あの。こちらから条件を提示する失礼をお許しください。二つほど希望条件があるんですけど」と、えみりは言った。
「失礼なんかじゃないですよ」と、あさかは言った。
「当然の権利ですよ」と、いるまは言った。
そこで、えみりは以下の条件を羅列した。
・当面、非常勤としての雇用を希望する。平日の午後に勤務したい。
・PC、スマートフォンを持たない生活をしているし、これからも持つつもりはない。仮に仕事で必要になったとしても。業務連絡は固定電話のみで行いたい。
・一か月間から三カ月間の試用期間を設けてほしい。この間、賃金は低めに設定してくれてかまわない。
双子は、顔を見合わせてから「いいよね」とお互いに確認を取った。そして、えみりの方を向き直り「うん。いいよ」と言った。
「なんだ、よかった。深刻な顔して言うから何かと思っちゃった」と、あさかは言った。
「人殺したことありますけど、いいですか?って言うかと思っちゃった」と、いるまは言った。えみりは目を見開き、黙ったまま双子を見つめた。鋭い三日月のように唇を歪ませて不気味に笑ってみせた。
「なになに、こわい」と、あさかは言った。
「ないですよね。人殺したこと」と、いるまは言った。
えみりは、すぅっと柔かな笑顔に戻り「ないですよう」と、言った。やーだーと双子が笑い、えみりの肩を叩いた。
「ロシアンティー、とてもおいしいですね」と、えみりは微笑んだ。