えみりは車から降り、庭に置いてある古びた椅子に座る。秋の風が彼女の身体を撫ぜる。青白い宵闇の中に、ぽつぽつと寂しいピアスの様に灯る街灯を、えみりはじっと眺めている。
どれだけじっとしていても、荒れ地を通る車はない。静寂の膜を経て、夜空は鈴虫たちの声で満たされる。その鈴の音があまりにも大きく響くので、彼女は自分の鼓膜そのものが、ひとつの森になってしまったように感じる。
「そうではない。人間たちの音が少ないというだけのことなんだ」と、えみりは自分に向けて呟く。
かつて生活していた東京や、日中に働いてきた都市部の音響を想う。人の社会に纏わる音は、常に何かを隠している。自分を含めた人間たちの作る音が静まることで、もともとそこに暮らしていた音の影が、ようやく姿を見せるのだ。自分の呼吸や鼓動。風の流れる音。微小な生物たちの声。月光でさえ、音を孕んでいるように感じる。懐かしい森が耳の中で何かを囁く。
「古い森。言葉のない、私の古い森」と、えみりは呟く。「永遠に三十一歳を足した、私の森」
そんな事を呟いていると、自分が一本の樹木になってしまったように思う。
どの位の時間であったのか、わからない。家の中で電話が鳴るまで、えみりは月光による光合成を必要とする一本の樹木のように、そこに立ち尽くしていた。
えみりが家の鍵を開けて中に入り、手探りで電灯を点けると、室内に満ちていた暗闇と、その中を漂っていた蛍たちが、一斉にえみりの瞳に吸いこまれる。
留守にしている間、私とは別の小さな蛍たちが、がらりとした部屋の中を飛び回っているのだ。えみりの気配の残り香。防犯能力を持たないお留守番たちが、帰宅と同時に、彼女の瞳の中に戻る。
えみりは靴を脱いで部屋に上がり、まだ呼び出し音を響かせている電話に近づく。何故ある種の電話は、呼び出し音だけで内容をこちらに察させてしまうのだろう。と、えみりは思う。きっと無意識が演算をしているのだろう。
「えみり。まひろです」と、受話器の向こう側でまひろが言う。思った通りだった。声の硬さと雑音から、受話器の向こうは東京で、今は仕事が立て込んでいるのだ。と、えみりは察する。
「まひろ」と、えみりは言う。
「えみり。ごめん、まだ東京なの。退勤前に厄介ごとが起きてしまって。わたしの都合を考えられない何処かの誰かが、自分の都合だけをわたしに押し付けてくるの。憐れんで。そしてごめん」
「かわいそうな、まひろ。謝る必要なんてない」と、えみりは言う。
「ちょっと何時に片付くかわからないんだ」と、まひろは言う。
「まひろ。来るのは別の日にした方がいい。夜の高速道路は寒いし危ない。あなたに何かあったらと思うと、わたしはとても心配になる」
「いやだ」と、まひろは言う。「会いに行くって言ったら、会いに行くんだ。そういう決意から生まれる活力もある。電話したのは遅刻の報告と、声を聴いてその活力を得るためなんだよ。とにかく、また電話する」
「疲れていたら、ほんとうに無理しないでね。これはお願い」
えみりの言葉を最後まで聞かずに、電話は切れる。
えみりは薬缶を火にかけ、コーヒーを淹れるためのお湯を沸かす。疲れや焦りによって、まひろに災いが降りかからないことを祈る。お湯が沸くまでの時間を使って、自分の心を言葉に出してみる。
「あなたを待つ間。わたしは二人でいられる」と、えみりはを言う。「わたしのなかに二人おり、あなたのなかに二人いる」
お湯が沸くと、えみりはゆっくりと一人分のコーヒーを淹れる。薬缶の中で液体の沸騰が静まってしまうと、いよいよ彼女は荒地の広大な静けさの中心になる。
「どれだけ離れても、独りになれない生き物」と、えみりは独り言を言う。
えみりは、オリーブオイルで皮目を香ばしく焼いた鶏肉を、スライスしたトマトとチーズと大蒜といっしょにフライパンで煮込む。一人分のスパゲティが茹で上がる頃、フライパンの中ではトマトの赤とチーズの黄色が崩れてどろどろに混ざり合う。パスタをフライパンに入れ、混ぜあわせて深皿に盛り付ける。湯気のたつパスタ皿とフォークを書き物机に置き、粗熱を取っている間に庭に出て、バジルとルッコラの葉を手で収穫する。さっと洗ってから千切って小皿に盛る。オリーブオイルと塩で和える。
椅子に座り、左手で文庫本を開きながら、えみりはつるつるとスパゲティを食べる。食べてしまうと、食器をシンクに放り込み、郵便受けから夕刊新聞を取る。机の引き出しから煙草の葉とヘンプ紙を取り出し、一本巻いて火を点ける。煙を吸い込むと、一日の疲れが、温かく香しい煙となって彼女の腑に満ちる。
新聞は、相変わらず悪いニュースばかり一面に置いている。世界が終わる日まで、その慣習は続くのだろうか。と、えみりは思う。世界が終わる日の新聞は、いったい何を報じるのだろうか。
煙草がゆっくりと短くなる。今日も報道は、自分の知らない世界を報じているようだ。思い出にすがり寂しく暮らす母のことも、失踪した兄のことも、夫の墓参りに行くおばあさんのことも、働き者の双子のことも、野球好きの老爺のことも、怒りを秘めた内気な少女のことも、まひろが仕事で来られなくなったことも、独りきりでスパゲティを食べる自分のことも、どれひとつとして報じられていない。
「世界とは何処なのだろう」と、えみりは思う。自分がその一部に生息していることはわかる。だが、その全像を直接見ることは出来ない。魚が海のすべてを。鳥が空のすべてを見ることが出来ないのと同じように。
燃え尽きる寸前の煙草の煙が、彼女の唇から延びる。まひろの顔が浮かぶ。えみりのブレンドした煙草の匂いを嗅いで、まひろは必ず「いい香り」と言ってくれる。
「世界とは何処なのだろう」と、えみりは呟く。
「誰がそこに住んでおり、あなたは何処にいるのだろう」
「あなたのことは、誰が報じるのだろう。それは報じられなければならないのに」
呟いてしまうと、えみりは水道の水で煙草の火を消し、皿を洗う。
『すべての人間が日付を忘れてしまうような青白い秋の朝に、牛乳配達の配達の少女の溌溂とした挨拶と笑顔が、S郡在住の一人の女性の心を温めることに成功しました。少女はこれまでにも幾度となく女性の心を温めており、女性はそのお陰で心が凍てつかずに済んでると話しています。少女が今までに温めた心の温度は、累積すると人間大の小規模な休火山二つ分ほどに相当するとのことです』
『H町で独居生活を営む七十五歳の女性が、同じ一日に閉じ込められています。本人だけがそれに気付くことなく、去年亡くなった夫の思い出を反芻して過ごしていますが、周囲の人たちは敢えてそれを指摘することをしない方針を固めています。その理由について、キーパーソンの女性は、本人が望んでいるのならば無理に変えることがないという見解を示しています。また、同じ一日に閉じ込められているの者は他にも大勢おり、そこから抜け出すことが果たして本人にとっていい事なのかどうかという点については、まだ十分な議論を必要とするとの見方であるとのことです』
『I町のコンビニエンスストアで、セルフレジの操作に苦心していた八十代とみられる女性が、世の中がどんどん簡略化されていると指摘しました。女性は自分の葬儀もこのように簡略化して行ってほしいと話しており、これに対する見解と見解を出す責任者の所在は未だ不明である模様です』
『T町で訪問介護・家事代行を営んでいる〈貝がら双子サービス〉に於いて、『究極のカレーとはどのようなものであるか』という議論がスタッフ間で活発に行われました。様々な意見が発せられる中、話はどのような場所で食べるカレーが最高かという議題に移行し「空腹」と「キャンプ」の話題でさらに盛り上がりましたが、未だ結論には至っておりません』
『D市在住の八十歳の男性の趣味は野球をテーマにした創作落語。自宅に訪れる訪問介護スタッフに披露するため、日中は専ら台本の執筆や噺の練習に励んでいるとの事です。訪問介護スタッフはお陰で野球に、特にパリーグのBクラス球団について詳しくなってしまったと笑顔で話しています。また、この男性は一人の女性介護スタッフに対し「胸を触らせて欲しい」などの発言を繰り返しており、それに対し女性は「何故ですか」と問い返していますが、未だ明確な回答は導き出せていません。両者の納得のいく回答が待たれています』
『同じくD市に住む不登校の少女が、自宅を訪問する家事代行の女性と共に「ファック」という言葉の意味について吟味しました。少女は、六歳の時に母親と離婚・別居して以来一度も会っていない父親とワーカホリックで殆ど家に帰らない母親に対して、本人すら望まない寂しさを感じており、それは強い怒りと衝動に姿を変えて彼女自身を食い破ろうとする寸前にある模様です。「賢い子で、豊富な知識と語彙を持ちあわせているが、助けを求める言葉だけを知らない」と、家事代行の女性は話しています』
『人間の樹木化が進んでいます。時折自分も半ば樹木になっていると話す独り暮らしの女性。過疎化によって広大な荒地と化した場所にぽつんと建つ平屋で暮らす彼女は、管理者のない荒涼とした広さが人間から言葉を奪い樹木化させるのだと話しています。人間が人間であるためにはある程度の人工的な狭さと境界線と言葉が必要であり、街と家々がその役目を果たしていると、専門家は考えています』
『理由もわからないまま、荒野に咲く小さな花が涙を流しました。夜空に散った涙は星の様に輝き、地上をその屈折率で湾曲させています。ですが、おそらく明日は無事訪れるであろうという楽観的な永遠観から、今夜も涙は空と大地を美しく潤すばかりであると見られています。なお、この現象はそれ自体が永遠と呼ばれ、夜は無数の涙の集合体であるということは、まだ一般に多く知られてはいません。涙の理由について、すべての花は黙秘を続けています』