ことばを発生せしめる装置として私があるという状況は、どうしても避けたいところだ。それはことばの奴隷であるから。
かといって私のためにことばがあるなどと思いあがるつもりはない。
詩であろうと、小説であろうと、論文であろうと、メールであろうと、SNSであろうと、会話であろうと、いかなる形式をとろうとも、私はことばに、手紙の性質をもっていて欲しいと希望している。
これは宛先の問題なのだ。
ずっと誰もいない宇宙に向けて、奴隷のことばの詰まった瓶を捨て続けていた私がそう言うのだ。
ことばを発生せしめる装置として私があるという状況は、どうしても避けたいところだ。それはことばの奴隷であるから。
かといって私のためにことばがあるなどと思いあがるつもりはない。
詩であろうと、小説であろうと、論文であろうと、メールであろうと、SNSであろうと、会話であろうと、いかなる形式をとろうとも、私はことばに、手紙の性質をもっていて欲しいと希望している。
これは宛先の問題なのだ。
ずっと誰もいない宇宙に向けて、奴隷のことばの詰まった瓶を捨て続けていた私がそう言うのだ。